事務局長の雑感を書きます。
私の小学2年生の時の担任は、T先生という男性の先生でした。背が高く、優しく、自分の顔をかわいいイラストで描く素敵な先生でした。クラスメートはみんなT先生のことが大好きでしたが、1年間で異動になってしまいました。春休みに教室の片付けの手伝いに行った時に、先生から色の揃った油性ペンのセットをもらって、高校生くらいまで大切に使っていました。3年生の夏休みに、先生の家に遊びに行こう!!ということになり、バスの時刻表と運賃を調べ、バスに乗って6人くらいで先生の自宅に遊びに行きました。帰りは先生の車で送ってもらい、お別れの時は「降りたくない」と泣く子も出る始末でした。しかしインターネットもない時代。その後どこの小学校にいらっしゃるのかわからなくなりました。数年前、お名前を入れたら、市内のある小学校の校長先生を最後に退任されていることだけがわかりました。

先日、ある卒業生がつばめ塾に遊びに来てくれました。つばめ塾初期の生徒で、もう20歳を越えています。懐かしい話になった時にふと、「そういえば、小学校って、どこだったっけ?」と聞いたところ、T先生のいた小学校だったのです。そこで「T校長先生っていなかった?」と聞くと、「知っています。それどころか、大変お世話になりました!!不登校気味だった時に、朝に校長室に行って、いろんな話を聞いてもらっていたんです。T先生のおかげで無事に卒業できました。」とのことでした。腰を抜かすほど驚きました。まさかつばめ塾で面倒みていた子が、T先生のことを知っていたばかりでなく、とてもお世話になっていたとは、、、

35年前のことを色々思い出しました。私は、小学2年生の時に、T先生に頼まれて、団地の近所に住む友達を毎朝迎えに行っていました。今でいえば「父子家庭のDV」に当たると思うのですが、「毎日親父に殴られている」という友達がいて、不登校気味だったので、毎朝家まで迎えに行って、一緒に登校していたのでした。当時からそういう配慮のできる先生だったのです。
校長先生になっても、優しい、素晴らしい先生だったのだと嬉しく思いました。

来てくれた卒業生は、定時制高校を卒業して元気に働いていて「とてもやりがいのある職場で、働いていて楽しいです!!」と嬉しそうに話してくれたので、「つばめ塾を作って良かったな~」と改めて思いました。

そして、父親の言葉をふと思い出しました。
「一生懸命やっていれば、いいことがある。」
小学校、中学校もまともに行かず、自分の名前しか書けない父でしたが、素朴な言葉の中に、説得力がありました。少年野球のコーチを25年もした人でした。日曜日の練習後には、晩酌をしながら、「今日は〇〇がヒットを打てるようになった」「今日は●●がいい守備をした」と大声で喜んでいた父でした。そして卒業生が練習の手伝いに来てくれると、大変喜んで「あいつがもう高校生だってよ。一生懸命コーチをしていると、いいことがあるなあ」と涙ながらに喜んでいたのです。収入的には何もいいことがおきなかった父でした。最後まで貧乏し通しの父でしたが、野球の子どもたちには慕われていました。父のお通夜の時には、20名以上の卒業生が集まってくれ、斎場の外は同窓会のようなにぎやかさで、「教え子がこんなに集まってくれて、さぞかし喜んでいることだろう」と思ったものでした。

教育格差、経済格差に関しては、統計分析の側面や、社会への波及効果など、難しい言葉で語られることも多い昨今です。確かにそれも大事だとは思うのですが、その根源にある、本当にシンプルな「一生懸命やっていれば、いいことがある」という信念も大事にしていきたいと思います。しかもそれは、経済的な見返りではなく、人の成長を我がことのように喜べる気持ちです。T先生のように、人への思いやりの気持ちです。
偽善だの何だの言われることもありますが、「うるせー」とボソッとつぶやいて、塾生のために一生懸命動いてく、そんな人生を歩んでいきたいです。

事務局長 小宮位之