今日も事務局長の雑感です。

私が映像制作の仕事をしていた時の先輩が亡くなられました。私より10歳ほど年長の方ですから、本当にお若い方でした。ガンで体調を崩されていたみたいです。
私が映像制作の仕事に転職したのが26歳の時で、退職するまでずっと私の上司でいた方です。
映像とは無縁の文学部史学科を卒業し、高校の講師をしていた人間にゼロから仕事を教えてくださいました。現場では右も左もわからず、オロオロするばかりでしたが、きっちり教えてくださいました。
9年間もお世話になったので、思い出は沢山あるのですが、特に思い出深いことが2つあります。
一つは、長男が生まれたときに、とても喜んでくれたことです。その日は、先輩と福井県の武生で仕事をしておりました。夕方、生まれたことを携帯電話で聞き、報告するととても喜んでくれて、「よし!!お祝いだ!!今日の夕飯はおごってやる!!」と食事に連れていってくれました。映像制作の仕事において、夕食はたいてい「飲み」ですから、安くはない金額だったと思います。先輩も2人のお子さんを子育て中で、お金がかかる時だったと思います。申し訳ないことだったのですが、有難くご飯を頂戴しました。
翌日の取材では、取材先の方に、先輩が「こいつ、昨日初めての子どもが生まれたんですよ!」と言ったものですから、「それはおめでたい」とのことで、その方から紙で作ったお祝いの品を頂くことができました。(武生は紙漉きで有名な街です。)
先輩はとにかく人間味あふれて、温かい気持ちの方でした。

もう一つは、編集作業でのことです。見習いだった私がカメラで撮影するようになっても、編集した映像はすべて見て指導してくださいました。性格は温かい方でしたが、仕事に対しては厳しく、「小宮、お前はこの映像で何を伝えたいんだ?見た人にどう感じて欲しいんだ?これでは単に撮った素材を切って、順番を入れ替えて並べただけじゃないか?」と常に言われました。そこは徹底して指導して頂いたお陰で、少しは映像制作のことが理解できるようになりました。

つばめ塾を作って3か月後、私は仕事を辞める決意をしました。よく、「つばめ塾のために辞めたんですね!!」と言われますが、実際はそうではありません。半分は、自分の映像制作の仕事に対する「適性・センスのなさ」に気づき、将来を考えていたのです。もう半分が「つばめ塾をもっとやりたい」という気持ちでした。言い出してから3か月で退職したものですから、先輩には随分とご迷惑をおかけしました。しかし、仕事を辞めてからも、新聞やテレビに出たときに見てくれて「小宮、いいことしているじゃないか!!頑張れ!!」といつも励ましてくださいました。本当に器が大きい方だなと思っていました。

ウガンダで一緒に下痢で苦しんだり、青森の種差海岸で日の出を撮るために朝早く出かけたり、イギリスのストーンヘンジで40分間ずっと同じ角度で撮り続けたり、ビッグベンの前で声出して怒られたり、語りだしたらきりがないほど先輩のアシスタントをさせてもらい、書いている今でも涙が出てきそうです。

多くの細かい撮影技術や編集技術を教えてもらいましたが、今思えば、一番教えて下さったのは、「お前は何が伝えたいんだ?」という意識を持つことの重要性だと思いました。つばめ塾を始めてから、稚拙な文章ではありますが、このHP・ブログを書き続け、多くの方に無料塾の重要性、大切さを訴えてきました。美辞麗句を重ねるより、「思い」が大切なんだと思って書いてきましたが、これこそ先輩が9年間教えてくれたことなんだと気づき、感謝の念でいっぱいです。

先輩のお通夜にむけて家を出る少し前、長男に先輩が亡くなったことを話して、「お前が生まれたときに、とても喜んでくれた先輩だったんだよ。いいか、人間というのはそういう温かい気持ちから人生が始まっているんだよ。」と伝えることができたのは、とてもありがたいことでした。

先輩、今までありがとうございました。これからも、このHPを通じて、何を伝えるか。そしてつばめ塾の活動を通して、塾生に何を伝えるか。真剣に考えて活動をしていこうと思います。
天国から見守っていてください。

事務局長 小宮位之