今日も雑感です。

私が9年前に無料塾を開いてから3年以上悩まされた意見がありました。それは、
「無料塾は良くない。それは、お金を払っていないことで、講師のほうが、無責任になるからだ。そして、お金を払うからこそ得られる知識がある。だから塾にはお金を払って習うべきだ。」
という意見でした。確かに一理も二理もあります。確かに週1日しか通えない無料塾とお金さえ出せば週4日でも5日でも通える有料塾は大いに違います。そこは認めざるを得ませんし、その差を否定する気はありません。
ただ実際に運営してみて、「講師が無責任」ではないことがよくわかりました。うちのボランティア講師は、生徒のことを思って本当に献身的に毎週きて下さり、決して「無責任」ということはありませんでした。
悩んだのは、「知識を得るのに、お金を支払わなければならない」という点でした。もちろん、回数が少ないとはいえ、知識の伝授はしていますから、簡単に否定してもいいのですが、それでは無料塾が有料塾の単なる「劣化版」になってしまいます。そこに「無料塾としての可能性」がないものかと、自問自答の日々でした。そのことについては、昨日の「即答」という記事に書いています。

答えが出たのは、設立して3年ほど経ったころでした。私が出した答えはこうです。

資本主義社会である以上、有料塾において、講師は賃金で評価される。そしてその場合、払った対価以下の講師しか用意できない。例えば利用者が時給3000円を支払えば、2999円以下の講師しか来ることはない。しかし無料塾ではとても時給3000円ではとても呼べないような人も、無料で来てくれる(例えば企業向けにTOEICの講師をしてる人や、英字新聞で翻訳の仕事をしている新聞記者など、、)。有料塾が講師の価値の上限を決めるに対して、無料塾では講師の上限はない。
しかも、1円も払っていない以上、期待値を下回るということがない。有料塾なら、3000円は払ったのに、期待していたより良くない講師だった、ということが起こり得るが、無料塾でそれはない。仮に相性が合わない先生にあたったとしても、所詮は無料であり、利用者に金銭的な損は存在しない。つまり、リスクはゼロなのに、上限は限りないという形態だ。

しかし、これはあくまで金銭的な側面に過ぎない。実際、こんな生徒がいた。ある定時制高校に通っている卒業生がつばめ塾に遊びに来てくれた。「勉強ができなくて、何回も辞めようと思ったけど、あんなにつばめ塾の先生が教えてくれて入った高校だから、辞めるわけにはいかない!!と思って頑張っているよ(^^)/」と報告してくれた。この言葉に全てが込められているように感じた。無料塾の良いところは、こういうところなのだと。しかし、有料塾にも良い先生はいるわけであり、有料塾を否定しているわけでは決してなく、「無料塾に価値がないわけではない」ということを強調したい。

この意見にたどり着くまでに3年ほどかかりました。でもそれは当たり前のことでした。なぜなら、無料塾の価値は、頭の中の理論でも、机上の空論でもなく、実際の生徒と講師のふれあいの中に存在するからです。つまり、この価値を見出すために、多くの講師、生徒の授業を私が見たり、腹の底から納得できる時間が必要だったのです。だから今、私はこの意見を堂々と言うことができます。意見が固まった以降も、1円の得にもならないことのためにボランティア講師がいかに一生懸命に教えているか、いかに無料塾の存在によって、子どもたちが「学習と希望」を得ているか、という現場を山ほど見ているからです。

でも常に自問自答は続きます。もうこれで完璧だ!!という形はいつになっても現れないからです。生徒も変わります。講師も変わります。時代も変わります。だからいつでも、「これでいいのだろうか?経済的に苦しいご家庭の子どもたちのために何を行うことがベストなのか?」ということは、自分に問い続けていきたいと思っています。

事務局長 小宮位之