今回は、雑感を書きます。
つばめ塾と関係ないことも書きますし、長文になりますので、お時間ある方だけお読みください。
我が家には愚息が3人おります。その子が小学5年から6年生になる「春休み」に長野県に行くという「父子二人旅」が恒例行事となっております。そして、末っ子である「三男」がその時を迎え、この度行って参りました。
長男と、次男・三男は行ったところが若干違うのですが、今年は以下の通りでした。
①私が育った都営団地と母校の小学校の前を通り、中学校の校門前で記念撮影
②中央道を長野に向かい、途中、釈迦堂PAの上にある「縄文博物館」を見学し、縄文土器・土偶を沢山見る。
③松本で本場の蕎麦を食べる(今年は、松本市笹賀にある「館そば」さんでした。)
④松本城を見学
⑤美ヶ原温泉の旅館に泊まる(毎回同じ旅館にしたのですが、たまたま、3回とも全く同じ部屋でした!!)ここで、「肝心な話」を夜遅くまでする。
⑥翌日は安曇野市の大王わさび農場でわさびソフトを食べる
⑦長野市に移動して、川中島古戦場跡を見学
⑧善光寺を参拝し、真っ暗な戒壇めぐりを体験
⑨帰りは諏訪湖SAに寄り、諏訪湖を上から撮影
こんな感じの観光旅行なのですが、一番の目的は観光ではありません!!(笑)
目的は「私が育った小宮家の貧困の様子をきちっと伝え、つばめ塾設立の原点を語る」というものです(笑)
我が家は、父親がひたすらボランティアをしに出かけて、毎晩いなくなるという特殊な家庭です。なぜ、こんなに熱心につばめ塾をやっているのか、きちんと説明しなければならないと考え、旅行をしながらじっくりと話す機会を作ったのです。もちろん、幼少期の貧困の様子は常に伝えているのですが、まとめて話す機会はなかなかないので。
松本というのは、私と両親がたった1度だけ家族旅行をした思い出の地なんです。親戚が海水浴に連れていってくれたりはしたのですが、我が家自体は貧困だったので、私が高校入学前の春休みに1度だけ、なけなしの10万円を使って「松本城、石和温泉」1泊2日の旅をしたんです。3人だけで行った唯一の思い出の地なんです。
今回は、三男坊と行ったですが、このごろ盛んに「僕がつばめ塾を継ぐんだ!!」と息巻いているので、その話もきちんとしようと思っていました。
話したことの要旨のうち、つばめ塾に関する話は以下のとおりです。この話の前には、我が家の貧乏話があり、一番盛り上がるところです。面白いエピソード満載で、みなさんにお話したいのですが、それはまたのちの機会に!!(^^♪
本来は本人の名前を呼んでいるのですが、プライバシーの関係で、この文章上では、呼びかけの意味で「お前」で統一させてもらいます。(「君」だと他人行儀なので、、、)
————————————–
今、「塾を継ぐんだ」とお前は言っているが、つばめ塾の理事長を継げるわけではない。NPO法人は市民団体なんだから、世襲できるわけがない。だいたい、中身の伴わない世襲が世の中を悪くしているんだから、パパがお前を次の理事長に推薦する気はない。事務局長も厳しいと思う。それは、貧困や苦労を経験していないからだ。パパがつばめ塾を作った当時、無料塾というのは、世の中にほとんどなかったから、色んな人から色んなことを言われた。「無料で教えるなんておかしい」とか、「少しはお金を取らなければ、子どものためにはならない」とか、「経済的に苦しいという条件を付けたら生徒が集まらない」とか。でもパパは、信念を曲げなかった。それは、誰になんと言われようが無料で教えることこそが、経済的に苦しいご家庭にとって、一番嬉しいことであると堅く信じていたからだ。それは我が家が全財産800円しかない時もあった家庭だったから、そういう「経験」から導かれる信念なんだ。たしかに今の我が家は決して余裕はない。けれどもパパが経験した貧困と比べたら、貧困の「ひ」の字もない。だからお前は「家にお金がなくてどうしよう」とか、「これから我が家はどうなんるんだろう」といった不安を感じたことはないはずだ。パパは小学3年生のころから、大きな都営団地の中で、社会の格差を感じ、不安と怒りと持って成長してきたんだ。
お前も、頑張れば将来、ボランティア講師をできるだろう。それだけでもとても素晴らしい、尊いことだ。でも事務局長は逃げるわけにはいかない役職だ。正社員を辞めて年収が3分の1になった時も、コンビニで夜中働いた時も、自分が追い込まれた時に、決して無料塾をやめなかったのは、自分が貧困を経験しているから。お金がないことで動揺することはないし、こういう思いは、自分の幼少期の頃から普通にしていたし、塾生の家庭で今でもしている子がいるだろうと思うから、つらいと思ったことはない。だからこの役は、お前には務まらないだろう。
でも、安心してほしい。パパは設立者だが、お前は違う。お前にはお前の役割がある。一番大事なことを教えておく。それは、「どんな時でも、経済的に苦しいご家庭の子どもたちの味方でいること。」このことさえ常に意識できればいい。世の中には、経済的に苦しいご家庭を口汚く攻撃する人もいる。「無料塾なんて良くない」と言う人もいる。「低所得者には国から支援があっていいわね」と大声で言う人もいる。でもそれを聞いてもなお、お前だけは味方でいなさい。批判してくる人よりお金がなくても、学歴がなくてもいい。そんなことは恥じなくていい。恥ずかしいのは、その地位や財産に到達するのに、本来は生まれてきた幸運が関係あるはずのに、自分の実力だけで得たと思いこんで、経済的に苦しいご家庭を見下す「考え」そのものである。だからお前は堂々と、「どうしたら経済的に苦しいご家庭の子どもたちが希望を持てるか、、、」それだけを考えていなさい。そして、大人になったら、塾生に寄り添ってほしい。「一緒に頑張ろうね!!」と笑顔で励ましてほしい。つばめ塾を継ぐとはそういうことである。役職を継ぐんじゃない。思いを継ぐんだ。塾生のために、奉仕する、ボランティアするという精神を継ぐんだ。これなら、お前にもできる。
大人になって、今と気持ちが変わらず、つばめ塾の子たちのために尽力したいというなら、「私利私欲」を無くすことである。自分が儲けたいとか、有名になりたいという気持ちを捨てることである。パパがテレビや新聞に出ているのは、無料塾を全国に広めて、一人でも多くの経済的に苦しいご家庭の子どもたちに、「無料で勉強できて良かった」と喜んでもらいたいと思うからであって、決して有名になろうと思って出ているわけではない。
そして、いつかつばめ塾の子どもたちにための役に立てるように、今からできることがある。それは、明るく、元気よく、優しく人と接することである。お前の名前に「優」という一字が入っているように、人にやさしく接してあげることである。友達に明るく自分から挨拶することである。それは、人を元気づける。安心させる。お前は、パパの子なんだから、大きな声が出るだろう。そうしてクラスを明るくする。そういうことがトレーニングなんだ。
——————————————
こんな感じの話をしました。ここでは固い表現になっていますが、実際には平易な言葉でわかりやすく話をしています。
この会話の続きで「パパはつばめ塾を作った日以来、自分のためだけに使った時間などない。家を出ていく時は必ずつばめ塾だし、家にいてもつばめ塾のメールを打っている。パパが一人で映画を見に行ったとか、ゴルフ行ったとか、パチンコ行ったとか、飲みに行ったとかあるか?」と聞いたら、三男が首を激しく横に振って、「11年間生きてきたけど、記憶がある時から常にパパはつばめ塾行っていたし、パパが自分一人で遊んでいるところは見たことない。」と肯定してくれた時は嬉しかったです(^^♪
確かに普通のサラリーマン家庭と比べると、平日夜は毎日八王子つばめ塾行っているし、土日は東京つばめ塾行ってるし、ほとんど家を空けています。良い父親ではないと自覚しています。でもいつも言って聞かせているのです。「まだお前たちは幸せなのだ。パパが家にいる時は勉強を教えてあげられる。でも世の中には、パパの幼少期のように厳しい生活を強いられている家庭がまだまだあるんだ。そういう子たちの勉強を見てあげなければならない。食料や奨学金を送ってあげなければならない。」
三男が将来つばめ塾を継いでくれるかはわかりませんが、大事なことは伝えられた気がします。
本人に聞いたら、この旅行の一番の思い出は、「松本城が、外から見たら5階だけど、中は6階構造になっていたことと、善光寺のお戒壇めぐりが真っ暗だったこと」だそうです(^^♪
理事長 小宮位之