昨日で、東日本大震災から10年が経ちました。
震災が起きた時、私は都内で映像制作の仕事をしていました。
同僚が八王子方面でしたので、車に乗せてもらい、4時間もかけて帰ってきました。
10日後には小さいカメラを持って取材で仙台に入りました。
ボランティアに同行して仙台の沿岸部で取材をしました。被災した方に色んなお話を聞かせて頂きました。
そして1週間後には東京に戻ってきました。
煌々と照る東京の灯りをみて、「被災地にいたボランティアのように、自分も何か人の役に立つことをしたい」と思いました。帰京してすぐに「自分ができることは何だろう?」と考え始め、「学習支援 ボランティア」というキーワードで検索しました。そこで無料塾に出逢ったのです。だから、無料塾を始めたきっかけは間違いなく東日本大震災でした。

少し話は変わりますが、阪神淡路大震災が起きた時、高校2年生でした。小宮家が一番貧しい時で、年収98万円というどん底の時期でした。高校で募金がありました。しかし、小遣いもない時代に、寄付できるお金もなく、1円玉だけを募金箱に入れたことを鮮明に覚えています。
しかしそれは善意と不満が入り混じった感情だったのです。高校生の私はこう思いました。「確かに被災された方の気持ち、被害は、私には想像もできない悲しみ、苦しみだろう。そしてみんなが何とか助けようとしている。それは本当に大事なことだ。しかし、普段から我が家のように貧困で苦しむ家庭は誰が助けてくれるのだろう?」被災地に対する思いがないわけじゃない。けれども他人に寄付するお金など我が家には全くない。そういう状況だったのです。

上記の経験から、つばめ塾では、他地域での災害発生に対して、何かアクションはあえて起こさないようにしています。どこかで震災が起きた時に私たちが主体となって募金をしたりボランティアをするということはありません。この日本に寄付金が有り余っているわけではありません。ボランティアの方の「ボランティア時間」も無限にあるわけではありません。つばめ塾ではどこに注力すればいいかと考えれば、あくまでも平常時に、見た目ではわからない「経済的に苦しさ」に対して支援をしていくということに注力すべきと考えています。そして、うちの卒業生たちが、主体的に様々なボランティアに目覚めてもらいたいと思うのです。震災支援・子ども食堂・フードバンク・無料塾へのボランティアなど、それぞれの特性を活かして動いていく。そういう「種」を播くことに専念しています。

ここまで書くと、「小宮は被災地に対して気持ちがないんだな」と思われる方もいると思いますが、別に冷淡なわけではありません(^_^;)
唐桑半島や釜石で行われていたボランティアを取材しましたし、富岡町から岡山県に避難した家族や双葉町から東京に避難した方を取材し、色んな思いを聞きました。
自身のボランティア活動としては、仙台市や東松島市で畳出しや側溝の泥すくいなどさせてもらいました。東松島市では熱中症で倒れかけました(笑)一緒に作業していた人に「小宮さん、熱中症になりかけているのでは?」と指摘されて休憩できました。後で「どうしてわかったんですか?」と聞いたところ、「いつもベラベラ話していた小宮さんが、急に黙ったからおかしいなと気づいたんです」とのこと。いつもどんだけ喋っているんだと恥ずかしくなるエピソードでした(^_^;)

今、私は有難いことに、経済的に苦しいご家庭の中高生にボランティアで教える機会を頂いております。このことを活かし、塾生にボランティア精神を感じてもらい、将来「自分の出来ることで人の役に立てる人になろう」という心意気の青年を一人でも多く輩出したいと考えております。そういう観点で、被災地の方々と一緒に前に進んでいきたいと思っております。

理事長 小宮位之