つばめ塾を見学に来た、ある無料塾の方とメールでやり取りしていて、素晴らしいなあと思ったことがあったので、メールの一部を転記しようと思います。
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ある中学生のお母さんは心身ともに疲れ切って、生徒も進路に迷うなどしており、きょうも自宅に様子を見に行ってきました。
欠席して連絡しても、ずっと音信不通の時もあります。
お母さんに励ましてもらわないといけない時期なのに、中学生でいろいろ背負うの無理だよねと思います。
きょうも言ってきました。「塾だから、いい学校に行ってほしいとか、成績上がれとか、それだけを考えてるんじゃないよ。どんな進路でも、最後には幸せになってほしいと思ってる。だから、幸せになる道と反対のことをしたらいけないよ」と。
その子は女の子なので、こうも言います。「お母さんと喧嘩して家出してごらん。世の中には、この子は家出してきた。そういうことをすぐに見破る悪魔がいるの。だから事件が起きるんだからね」その子は、「どんなに喧嘩しても、夜は出ないようにします」と答えます。
完全なお節介ですが、「人間、あそこで誰かに声をかけてもらってたら、人生変わってたかもしれない」
それが、今かもしれないと思うと、矢も盾もたまらず、自転車に乗ってます。
こういうことしてていいんだろうか。生徒募集考えなきゃと焦りながらですが。
あるサポートメンバーは、よく手作りのお菓子を持ってきて、生徒や講師さんたちに振舞います。その影響で、別の主婦講師の人もケーキを焼いて持ってくるようになりました。
いろんな善意の持ち寄りみたいな無料塾になっていますが、講師さんの「熱意」や「善意」は、数値化できないし、データにも残らないし、助成金の申請書類に書くこともできません。
貧困家庭の子どもの学習支援は、それ専門の支援団体に任せておけばいい、と、切り離して考えるのではなくて、私にも何かできることはないかと、市民ボランティアさんが集まってくるのが、無料塾の良いところですよね。
そして、そんな無料塾だからか、ひとつ応援してあげようと思ってくれるのは、町の不動産屋さんだとか、飲食店主さんだとか、独力でやってきた苦労人の方が、なぜか多いです。こうして地域に温かい空気が生まれるんだなと思います。
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この方は、わざわざ生徒の家まで行って相談に乗ったり、アドバイスをしたりしているみたいです。
本当に、数値化できない価値です。
つばめ塾が、国や市区町村の委託事業や助成金をもらわないのは、ここにあります。
お金があったら無料塾が上手くいくのではなくて、「善意と熱意」がなによりも必要なのです。
その次に必要なのが運営費です。
ここの順番を間違えると、生徒が「市の事業としてやってくれているんだ。無料で受けられて当然だ。」という気持ちになってしまいます。
それよりも、「こんな熱心な先生が自分の時間を使って勉強を教えてくれた。自分もあの先生みたいに、人に与えられる人になりたい。」と思う方がいいと堅く信じているのです。
さらに、「苦労人」の方のほうが応援してくれる。というところがミソだと思うのです。
自分が苦労を味わうと、「そういうことか、一肌脱ごうじゃないか!!」と協力してくれる。まさにここが大事なところです。
私もつばめ塾の卒業文集に書くのですが、「キミたちは、不利な立場にいるんじゃない。人の苦労が理解できるという有利な経験をしているのだ。」といつも思っているのです。
確かに経済的に苦しい経験は、そのままにしておけば、「あ~嫌だった」で終わります。
けれども周りの大人が関わって前向きに捉えられるようにサポートしたら、必ず変化します。むしろ人間の幅として変わってきます。
無料塾は有料塾の無料版でも、廉価版でも、代替機関でもありません。
少しでも世の中が良くなるよう、希望を見出せるようにする「人材育成機関」です。
今回掲載した無料塾の方のように、明日からまた、生徒のために動いていきたいと思います。
事務局長 小宮位之