最近、「小宮さんは何故そこまでしてつばめ塾を運営しているのですか?」という質問を受ける事が多くなりました。確かに正規雇用から、非正規雇用に変わり、といってつばめ塾を運営し続けて何か儲かる訳でもありません。
自分でも、何故ここまでしてやっているのか、ぼんやりとしか答えられませんでした。
自問自答が続きます。
「何もあなたが生活を投げ打ってまでやる必要はないのでは?」「では、既に生活が厳しいご家庭の子ども達の学習は誰が面倒をみるのですか?」「それは、行政や国が見るべきでは?」「国が何をしてくれるのですか?親身になって細かく心配までしてくれるのですか?」「・・・。」
ここまで考えて思い出します。都営団地で過ごした反抗期。私の場合は、親に反抗するよりも、社会への反抗が大きかった。「なぜうちは貧しいのか。なぜ世の中の人は助けてくれないのか。なぜ私たちは貧困の中であえいでいるのか。」この鬱憤の矛先は「外車」に出て来ました。自分達を助けてくれないお金持ちの象徴だったのです。団地の中では見かけないベンツやBMW。団地の外で出会えば必ず睨みつけて汚い言葉を叫んで鬱憤を晴らしていた。
市役所からの税金の督促状しか手紙が来ない郵便受け。入部した陸上部のスパイクが5400円もする事に愕然とした中学1年、13歳の春。小遣いなどなく、将来への希望もあるはずない。「どうせお金を持っている人は僕たちを助けてなんかくれない。」心の底から思っていた思春期だった。
中学生活自体はすごく楽しかった。だが心の奥底では、大人を見て「どうせあなたも私たちを助けてはくれないんでしょ!」と思っていたと、今考えると思います。
ここまで考えて、はっと気づきました。私は、あの日の自分に誠実に応えたかったのだと。
「私は違う。キミのために努力する。」「嘘つけ。みんなそう言うが、何も前に進まないじゃないか。」「いや私は実行する。」「じゃあ何をする?」「無料塾を開く。」「形だけやるような無料塾か?」「いや本気でやる。本気で貧困に取り組む大人もいる。」
ですから、つばめ塾をやる事は誰の為でもなく、貧しく苦しかった13歳の自分への答えだったのです。だから「本気」でやらなければならない。手を抜く事など考えられない。ボランティア講師の方は自分のペースでされればいいのです。でも自分は、あの日の自分に応えなければならない。
色々思いを巡らせてみて、一つの答えが出ました。
「何故そこまでしてつばめ塾を運営するのか?」「13歳の自分に対して、本気で応えたい。中には同じような思いを抱いている塾生もいるはず。そう思って取り組んでいます。」
事務局長 小宮位之