今日は事務局長雑感です。

Facebook上で、毎日新聞多摩版の記事のシェアをした上で、妻が以下のようなコメントをしていました。
妻は一度もつばめ塾に対してコメントしたことが無かったので、「ついにコメントを出した!!」と私がびっくりしました。

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想いは沢山あるのですが文章力無いもので、ダラダラと長いです😅
主人が無料塾をやりたいと言った時、反対はしませんでしたが、私は3人の子供の育児もあり、正直無関心で手伝う気持ちもありませんでした。

ある日、実家(塾は実家の敷地内です)に行った時、60代くらいのおじいさんに会いました。聞くとつばめ塾に英語を教えに来てくれている先生でした。

全く見ず知らずだった方がHPを見て主人に共感し、背中には教科書がパンパンに詰まった重たいリュックを背負い、遠い埼玉から生徒さんのために来て下さっている姿に涙が出ました。
三流高校出の私です。教えたりは出来ませんが夫が始めた塾なんだから、自分に出来るお手伝いをしよう!とその先生のお陰で思う事が出来ました。

他にも教員を定年退職したけど、教えたい!という方や、休日なのに朝〜夜まで生徒さんのために毎週熱心に教えに来てくれる大学生の方。
つばめ塾は、先生方のお陰様で、ここまで成長する事が出来ました。

巣から巣立ってまた戻ってくるツバメのように… との想いから主人がつばめ塾と名づけました。
ボランティアの方達に触れた子供達がまたどこかでボランティアとして活躍して欲しい!
上手に言えませんが、優しさや思いやりに触れた事は、その人の人生にとって大切な宝物になると思います😌
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文章を書くのが苦手な妻ですが、素直な気持ちを書いてくれたと思いました。妻は、埼玉から来て下さっていたK先生に、今でも本当に感謝しています。

妻の知人は、私が正社員を辞めると聞いたとき、「夢じゃ食べていけないんだよ!子ども3人抱えてどうしていくつもりなの??」と妻に言ったそうです。全くの正論です。100人にこのことを判断してもらったら、99人はこの意見を支持するにちがいありません。そして「いや、、、」と首を横に振っている1人が「私」だったのです。

仕事を辞めたのが3月末。その数日後には長男の入学式。その数日後には次男の入園式を迎えました。今年の4月にはその長男が4年生となり、次男が入学しました。入学式の帰り、妻がポツンと言いました。「3年前のあの日、一つも仕事が決まっていなかったね。」この言葉にジーンときました。辞めたはいいものの、何一つとして仕事が決まっていない状態で入学、入園を迎えたのです。今でこそつばめ塾は100名の生徒さんに利用してもらっていますが、当時はまだ8名程度。ほとんど誰にも知られていない存在でした。
あれから、義母が運営するお弁当屋の配達、寮の皿洗い(これはたまにでしたが、、、)、予備校や塾講師、家庭教師など、短時間の仕事をかき集めて暮らし、やっと1年後に高校の非常勤講師に復帰できました。妻も昨年までパートをしてくれました。

退職して仕事が決まらなかった時に、「これからつばめ塾に来るご家庭は、厳しい方が多いのだから、事務局長がすぐに仕事が見つかって、お金で何の苦労もしなかったら、人の苦しみなんかわからない運営者になってしまうよ。だからいいんじゃない。」と妻が慰めてくれたことが今でも印象に残っています。ですから今でも仕事をいくつも掛け持ちしている事を恥じたことはありませんし、誇りを持っています。

「仕事を投げ出して、よくボランティアに身を投げましたね。」ということを言われますが、それは小さい頃からの思いに基づいています。貧しい都営団地に育った私はいつも疑問に思っていることがありました。「どうしてお金を持っている人は、僕たちのように貧しくて苦しんでいる人を助けてくれないのだろう。きっと僕たちは社会から見放されているのだ。」と思っていたのです。だから、今の「子どもの貧困問題」解決の為には誰かが、意を決して飛び込んでいく、「社会は見放していないよ」というメッセージを送ることが必要だと感じています。誰かがやらなければならないが、それは「貧しい家に育った私から行かなければ」と思っているのです。

子どもの貧困問題のうち、学習支援は長い時間、放置されてきました。その理由は「その事業を始めても儲からない」か「取り組むには莫大な税金が必要」のどちらかです。私企業がやっても収益にならないし、行政がやればものすごく税金を使います。
だからこそ、ボランティアを基本とする「無料塾」の出番なのです。完璧な指導や毎回絶対に実施することはできませんが、儲ける必要はなく、税金を投入することなく、子ども達の学習支援ができる。私は、この形に大きな可能性を感じています。子どもたちへの教育を「お金のかかるもの」から、重いリュックを背負って来てくれた先生がして下さったように、「想い」が動かすものにしたいと思っております。

事務局長 小宮位之