クリスマスの夜になりました。
24日も第一、第五教室では当然のように授業が展開されていました。
当然、家で家族と過ごす生徒もいるので、若干少なめではありましたが、第五教室などは15人以上の生徒、6人の講師で勉強をしていました。
クリスマスになると必ず思い出すことがあります。
それは長男が通っていた聖公会八王子幼稚園の園長先生の「クリスマスキャンドルサービス」でのお話です。
園児に呼びかけてこう話されました。「前に、○○くんから、サンタさんのお名前はなんて言うの?と聞かれたので、園長先生はサンタさんに携帯電話でお話をしました。そうしたら、サンタさんは本当は聖ニコラスって言うそうだよ。サンタさんのお父さんもおじいさんもサンタさんで、ずっとサンタさんなんだそうです。そこで先生は、ついでに、どうして子どもにプレゼントをあげているんですか?と聞きました。すると、最初の聖ニコラスさんが、お金がなくて困っていたり、食べ物がなくて困っている人にお金や、食べ物をあげていたから、今、子ども達にプレゼントをあげているんだそうです。最後にもう一個聞いたんです。どうして最初のニコラスさんは、そういうことをしたんですか?答えは、イエス様がそういうことをされていたので、真似をしているのです。」
こういうお話でした。私はキリスト教徒ではありませんが、心の底から感動しました。サンタさんの起源を知らなかったのもありますが、クリスマスというのは、別に子どもにおもちゃを買ってあげる日ではなく、貧しい人達を助けた聖人を記念した日ということを知り、じーんと来ました。
私が貧しい家庭に育ちましたからわかるのですが、現在のクリスマスは、貧困家庭と裕福な家庭の差が顕著に、一斉に出てしまう日なんです。誕生日プレゼントなら、バラバラですから、いいおもちゃを見せびらかされても、自分のプレゼントを逆に見せなくてもどうでもいいのですが、クリスマスは違います。一斉にプレゼントをもらい、こんなのをもらったと学校で言いますから、「うちではそんな高価なおもちゃは絶対に買ってもらえないな」と心の中で惨めに思う事もしばしばあります。それは、たぶん高校生年代まで続くでしょう。
私も聖ニコラスのように「自然」にするように心がけています。
つばめ塾を運営していると、大変なことをしていますね!と良く言われるのですが、そんな気は全くありません。当たり前のことをしているだけです。経済的に困難な家庭の子どもが学力で苦しんでいたら手を差し伸べてあげる。当然のことをしているだけであって、それ以上の感覚は存在しません。私の場合は家自体は貧しかったのですが、幸運にも祖父母が費用を出してくれて大学に進学でき、教員免許まで取れました。その恩返しをするのが当然で、そうでなければ祖父母に申し訳ないです。
祖父は、太平洋戦争でインパール作戦に従軍し、食料がない中、地獄を経験して奇跡的に復員してきた人です。私が小学3年生の時から、毎月1回、兵隊で苦労したことを話してくれ、通算100回以上は同じ話をしてくれました。今の平和がいかに尊いことかを力説し、何とかして平和の世の中を維持するようにと、教えてくれた人でした。
祖父の願いに応えるためにも、未来ある子ども達が貧困によって未来の選択肢を奪われることがないよう、つばめ塾の運営に力を尽くしていきたいと改めて思います。
事務局長 小宮位之