毎年恒例の卒業文集を現在制作中です。
その中で、私が事務局長メッセージを毎年載せていますが、先に公開します。
文集の完成はもう少しかかります。完成したら、PDFで公開します。しばらくお待ちください。

卒業生のきみたちへ
~いつか誰かを温める存在に~

今年は、新型コロナウイルスの影響で、「卒業を祝う会」も中止になってしまって、大変残念でした。事務局長の私は1月に入って、「祝う会ではどんな話をしようか?」と楽しみにしていました。だからここでは、当日話そうと思っていた内容を書こうと思います。

—————————

いつかみんなに話したことがあったかもしれないけど、「どうして八王子つばめ塾を作ったのか」という話をしたいと思います。私は八王子の都営団地の貧しい家庭に育ちました。父親はテレビドラマの制作スタッフでしたが、職人だったので、収入が不安定でした。母親も内職で少し収入を得ている程度でした。年収にすると150万円程度の貧困家庭でした。中学では塾に行かずに高校に進学できたのは良かったのですが、高校2年生の冬に大きな壁が立ちはだかりました。世界史という社会の科目で学年1番を争っていた私は、大学に進学したいと思いました。しかし、それを父に言ったところ、「ふざけるな!お前を大学に行かせる金は1円もない。高校出たらすぐに働け!!」と言われました。しかし高校の世界史教師になる夢を諦めきれなかった私は2回土下座をして許してもらい、母方の祖父母に学費を出してもらうお願いをして、何とか進学の目途を立てました。アルバイト代から自分で進研ゼミを取り、勉強に励みました。しかし3年生の4月に父から「今すぐ高校をやめてくれ。もう学費が払えない。」と言われ、仰天しました。当時の都立高校は今と違って月に1万1千円の学費を納める必要があったのです。慌てて翌日、担任に奨学金を申し出て、国から毎月1万2千円を借りて、学費を払いました。

我が家にお金のないエピソードの話をしたら、話しきれません。一番厳しかったのは大学受験直前の12月でした。ふすま一枚隔てた向こうの部屋から両親の会話が聞こえてきました。「おい、家に今いくらお金がある?」「800円」「次の給料振り込まれるのっていつだっけ?」「20日後、、、」もちろん銀行に貯金など一切ありません。この話を聞いた時に、頭の中で何かがはじけ、そのまま家から飛び出していました。そこから1時間余りの記憶が全くありません。たぶん近所の河原の堤防を走って帰ってきたのだと思いますが、、、

大学に合格して入学しても、教科書が1冊も買えなかったり、昨日初めて会って友達になった人にもう1000円を借りたり、、、

どんなに夢があり、なりたい職業があり、それなりの力があっても、お金がなければ勉強できないんだ、、、と骨身に沁みてわかったのが大学進学の時でした。

大学卒業後、4年間の私立高校非常勤講師を経て、映像制作の仕事に就き、ビデオカメラマンをしていました。東日本大震災をきっかけにボランティアがしたくなり、つばめ塾を作りました。今から7年半前のことです。設立から半年後に正社員の仕事を辞め、今では高校や大学の非常勤講師、病院でアルバイトをしながらなんとか暮らしています。

さて、みなさんは、「糸」という曲をご存知でしょうか?中島みゆきさんが作詞作曲し、沢山のアーティストがカバーしているので、「縦の糸はあなた~横の糸はわたし~」というフレーズを聞いたことがあると思います。

私は中学生の時から中島みゆきさんのファンだったので、この曲をよく聞きますが、とても好きなのは2番の歌詞です。

なぜ生きていくのかを 迷った日のあとのささくれ

 夢追いかけ走って 転んだ日のあとのささくれ

 こんな糸がなんになるの? 心許なくて震えてた風の中

縦の糸はあなた 横の糸はわたし

織りなす布は いつか誰かの 傷をかばうかもしれない

 みなさんも、いつか迷う日が来ると思います。夢が叶わなくて挫折するときもあるでしょう。友人、家族、恋人を信じられなくなる日も来るでしょう。

しかし、そういう思いをした人だからこそ、他人の傷をかばえるのだと思います。つばめ塾の塾生はみんな、人の傷をかばうことのできる人だと信じています。そのことを堅く信じて、今日までつばめ塾を運営してきました。

みなさんの中には、これまでにいろんな思いをしてきた人も多いと思います。私も中高生のころにいろんな思いをしました。「どうしてうちにはこんなにお金がないのだろう。」「お金がない家庭は社会から見捨てられているのではないか、、、」「お金があったら簡単に大学進学できたのに」「結局世の中はお金が全てじゃないか!!」いろんな気持ちが渦巻いた6年間でした。でも、「糸」の最後はこんな歌詞で終わっています。

逢うべき糸に出逢えることを 人は仕合わせと呼びます 

私にとって、逢うべき糸は「無料塾」でした。インターネットで「無料塾」の存在を知った時、感動で震えました。「世の中にはこんなに素晴らしいことをする人がいるんだ。自分が貧しい家庭に育ったことと、教師をしていたことが完全に活かせる最高のボランティアじゃないか!!」と。初めて見た瞬間の「無料塾への感動」。この気持ちは今も全く変わっていません。

つばめ塾を始めて、多くの生徒と出会うことができました。この3月末には、卒業生だけでも合計で200名を越えました。1円の得にもならないことのために毎週熱心に来て、教えてくれる素晴らしいボランティア講師もトータルで200名を越えます。こんなにも多くの生徒、ボランティア講師に出逢えて本当に幸せだと思っています。

つばめ塾に命はかけてないし、家族も捨ててはいませんが、自分の人生はかけています。「仕事」と「家族と過ごす」以外の時間は全てつばめ塾に費やしています。でもこれができる自分は幸せだと思っています。振り返ってみれば、私が貧困家庭に育った経験がなかったとしたら、絶対につばめ塾は作らなかったと思うのです。だから両親には心から感謝しています。父は、稼ぎの悪い人でしたが、少年野球のコーチを25年間もした人で、熱い日も寒い日もグランドに立ち続けて子どもたちを育てていました。本当に尊敬できる人でした。我が家の貧困で苦労はしましたが、恨んだことは一度もありません。

最後に、みなさんに伝えたいのは、「してきた苦労は必ず役に立つ」ということです。今までしてきた苦労、これからする苦労。それが「誰かの傷をかばう日」が必ず来ます。そして何の苦労もせずに育った人より、皆さんが「織りなす布」の方が何倍も温かいということは、疑いようもないことです。

そんなみなさんを、ボランティア講師はもとより、つばめ塾の支援者の方、寄付者の方も応援しています。「自分は人から応援されている存在なんだ」と心強く思って、これからの生活に励んでください。

みなさんの高校生活、大学生活が充実したものになるよう、つばめ塾の事務所からいつも祈っています。

認定NPO法人八王子つばめ塾 事務局長 小宮位之