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つばめ塾ができるまで(前編)

今回は、杉浦理事と、対話形式でつばめ塾ができるまでを語ってみました。

杉浦:小宮事務局長は、人にばっかり話を聞いて「講師紹介」を記事にしていますが、つばめ塾を立ち上げる経緯については、Webサイト上では断片的にしか書いていないようなので、この機会に聞いてみたいと思います。

小宮:そうですね。こんな機会でもないと、まとまって語ることもないですね。

杉浦:では、つばめ塾を立ち上げた経緯を改めて聞いてみたいです。直接的なきっかけはなんだったのですか?

小宮:はい。今つばめ塾が入っている池田ビルは元々大学の学生寮で、2012年の3月末に、その大学が撤退したのです。このビルは、私の義母がオーナーなのですが、3、4階はシェアハウスとして貸す計画で、2階部分は何も決まってなかったんです。机も椅子もホワイトボードも置いて行ったのを見て、「これなら初期投資0円で無料塾を始められるぞ!!」と思ったのがきっかけです。

杉浦:それが直接のきっかけですね。でもそう思うにはその前に「無料塾」というモデルがなければ、いきなりは思いつかないですよね?

小宮:そうです。国分寺のNPO法人一粒の麦さまが運営している「無料塾」を2011年の4月に見つけ、こんな素晴らしい活動をしている団体があるんだと感動しました。すぐにでも参加したかったのですが、活動日の「土曜日」に仕事の休みを取りづらく、諦めざるを得なかったのです。ところが運よく建物が空いて、自分の都合に合わせて、無料塾ができると思って、始めたわけです。

杉浦:でも、どうして「無料塾」を見て感動したのですか?

小宮:それは、私が貧しい家に生まれ育ったからです。共働き家庭でしたが、父が職人肌で、気に入らないとすぐに仕事を辞めてきてしまう。だから年収が150万円くらいだった。一番ひどいときは98万円という年もありました。そんな家に育ちましたから、「経済的に苦しい家庭のために」というキャッチフレーズに、しびれました。「自分がやりたいボランティアはこれだ!!」と目が輝きましたね。

杉浦:事務局長は、そういう家庭に育っても、明るくそのことを話しますね。

小宮:「貧乏が恥ずかしいこと」だという考えが両親にまったくないんです。明るい両親でした。子どもの私にも、いつ、いくらの給料が入ってくるか、すべてオープンでした。だから、うちが苦しいのは子どもの頃から分かっていましたし、それで恨むことなんかありませんでした。
でも、こういうボランティアに心動かされたのは、お金がない苦労は一通り味わったからです。高校生の時は小遣いが無かったし、学費が払えずに高校中退する寸前まで行きましたし、大学受験の参考書は自分でアルバイトして買ったし、大学進学を目指すことすら認めてもらえませんでした。

杉浦:でも大学は卒業されていますよね?

小宮:はい。本当は高校卒業して、父の紹介で放送局のADとして働くはずだったのです。父が映像制作の仕事をしていたので。でもどうしても世界史が勉強したくて、2回土下座をして、なんとか認めてもらい、母方の祖父母に相談して、学費を出してもらいました。だから、私はとても幸せなんです。学費を出してくれる人が親族にいたわけですから。

大学に入学後もお金がなくて、教科書が買えなくて何も持たずに1カ月授業を受けていたし、できたばかりの友人に、毎日昼食代を借りて歩く始末でした。でも、そういう経験のおかげで、「経済的に苦しい人をほっておけない、なんとかして助けてあげたい!!」という気持ちを持てるようになったわけですから、今となれば両親に感謝しています。この経験がつばめ塾の立ち上げに大きく関わっているんですよ。

杉浦:なるほど。それでこんなことを始めたわけですね。

後編へ続く

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